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母の風香(2)

007 母亡き後、父は約8年一人で生き抜き平成10年9月5日 満81歳で永眠した。

“男ヤモメに蛆がわく” 事もなく

ダンディーに溌剌と・・・

                                          母の風香(1)に続く

                            元気な時から朝な夕な、仏と神を崇拝する熱心な信心をもった母であったが、長い入院生活で、心落ち込み、トイレに行けなくなり、制癌剤で黒髪は抜け、 自分の身体の状態で、もうダメかもと感ずいた頃、先生に「早く楽にいかしてください」と頼む母に、「みんなお母さんの重体を残念がって早期の回復を祈っている。決して見放したり、忘れている訳ではない。(症状により躁欝状態がひどく、面会を断っていた。)みんな、心配して一日でも長生きをしてほしいと願って大勢の人が見舞いに来てくださるのだから頑張ってほしい」と、泣いて話したものである。

西光寺の箱田住職様に何かとお力添えをいただいたのもこの頃で、      恐縮しきりです。

本当にありがとうございました。 入院中、折角お見舞に来ていただいても、

母の病状もあり何かと御不礼があった事を、この場を借りてお詫びします。

 この世で最期に母と話をし、又叱られたことがある。

死の前日、黙って見つめる私の前で、左手を差し上げながら、          ベッドの左側を探すような気配に思わず私が

「どうしたんかな?どこか痛いの?」と問うと、黙って同じような仕草、

私は急変かと心配し、 「何かな」と少し大きな声で聞くと、

自分の夢うつつのまどろみの中から起こされたのを怒るかのように、

「今、そこの道端に咲いている野草の花がきれいなので何の花かなと

見ているんだ、それくらい気を利かせ」ときつく云われた。

おそらくこの時は、生死の境を彷徨い始めた頃であったと思うが、

まこともって母らしい言葉であった。

この世で交わした最期の母との会話であり、説教であった。            母が亡くなってから、私は毎月二十一日の命日には、墓参り(都合の悪い日は近い日に)をして供養しているが、家の近くに咲いた野の花を一輪でも供えて

帰ることにしている。

私が町内を車で走っていると、ふっとバイクで荷物を積んで走っている     母の姿がよく思い出されますが、本当にあの世でも元気で楽しく

やっていることでしょう。

いまだかってあの世から生き返った人はいないし、出来ることではないけれど、

誰でもよい、誰かあの世からこの世を見たり、あの世の事を話してくれないものかと子供のような夢物語をよく思う。

 平成二年十月二十一日      午前十時三分  往生

        宝樹院釋楽舞妙操大姉

    「極楽浄土へいって、あの世でも野鳥や草花に囲まれて

     楽しく踊りを舞いながら過ごしているという意味」

 母が最期に、みんなに伝えたかった言葉を代わりに私が書いて

 筆を置きます。

「この世でお世話になった皆様、たいへんありがとうございました。」

私は、たいした父親でもなく普通の父親だったけど、                            両親の最期だけは、精一杯、看取った事を伝えたかった。

   当たり前の事が、なかなか出来ない時代ですから・・・

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コメント

親を慕い、親想う気持ち・・・・
拝読しました。eyeglass

こちらの想いを届けることよりも
親の想いを訪ねて行きたいものですね・・ear

お祖父さんをもとめるのではなく
お祖父さんの求めたものを
求めて生きるのですよ・・
    大好きだった祖父の往生の時
    ご住職から頂いた言葉です。

投稿: | 2011年2月15日 (火) 13時08分

感動しました!
立派なお母さんですね。
きっとお母さん天国から微笑みながらご覧になっていらっしゃることでしょう。
涙、涙、涙が止まりません・・・ 

投稿: お散歩おばさん | 2011年3月11日 (金) 10時57分

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