« 今年一番の大雪のなかプレゼントが・・・ | トップページ | 母の風香(2) »

母の風香(1)

008 平成2年10月21日に満69歳で“膵臓癌”で旅立った私の母

「宝樹院釋楽舞妙操大姉」である。

私が41歳の時である。

先日、探し物をしている時「影の舞」という追悼集を久し振りで読んだ。

私をこの世に産んでくれた母である。

私のブログに記すと同時に、私が人生で一番真剣に書いた追悼文を残したい。

子供にとって母親は絶対である。

女の人は幸せである。

私の様な出来の悪いガキ大将でも

なんとか社会人にしてくれた。

命のある限り感謝である。

長文なので二回に分けて私の追悼文を残す。

天国の母も今頃ブログに写真が載って恥ずかしがっているだろう。

あの世があるなら、そのうち逝った時叱ってもらおう。!!

       母の風香

 仏教の教えで言う年忌法要とは良くいったものである              母が亡くなって、三、四日目に頭の中に何となく浮かんだ句

“看病疲れ、やわらぐ日々、遺影を前に霞む眼よ”と詠んだ悲しみ一杯だった自分も、三回忌法要と共に、心もなごんできたようである。

私は、末っ子で誕生してから、就職、結婚となにかと身近にいることが多かったので、色んな思いでがあるが、                             小さい時の貧乏時代から、両親が元気で困難と闘った頃は            おいといて、不治の病と知って亡くなるまでの五ヶ月間で、母と交わした事を書いてみようと思う。

平成二年五月十九日、病院へお見舞に行く途中に出会った父より       膵臓癌で余命六ヶ月位と聞かされて、車中に妻、子供達がいたが、       突然の事と、あの元気者の母が死ぬと聞いて、慟哭して泣き、          頭の中が真っ白になったものである。

それ以来、生命ある間は精一杯親孝行しようと思い、病院通いをしたものである。それから五ヵ月の間に最後まで多くの事を母から学び、又喜びを与えてもらった。

思えば母は普段は気の小さいところもあったけど、自ら言っていたように、

「私はつらいことには強いけれど、やさしさに弱いんです」という九州女の愛敬と心意気、相手の心を想う、やさしさ一杯の女性であった。

亡くなる前日の夜、真夜中、意識朦朧と感覚もなくなり、死への序奏が始まったとき、無意識のうちにベッドから起きあがろうと何回も頑張る姿は、元気な時の頑張り屋の母を想い起こさすと同時に、                       「父を残しては死ねない」 という女心が、夢遊病者の様になっても伝わって来たものである。

少し早い死だったが、今思うと、力一杯、自分の人生を元気で生きた母らしい一生だったなと思うと同時に、私はこの時初めて、母を女性としてかわいい女性だなと想った。

打てば響く、自分の事より他人の不幸、心配事に心を配り、幸福を我が事のように喜んだ人生だった。

母は最後の最期まで私に大きな心をくれた。小さい時からキカン坊で、親を手こずらせた私だが入院中に、何ものにも代えがたい喜び、大きな財産を私にくれた。亡くなる一週間程前のある日、いつも身に着けていた数珠をはずして、口もきけずに朦朧としているのに、私の方を拝んでいるのである。

突然の事で私はどうしたのかなと思って、色々話しかけたり、           付添いさんに、どこが具合がわるいのかと問いかけられてもわからない。その内、どうも仏様を拝む様に私を向いて拝んでいるのである。

その瞬間、私は母との今日までの交わりの中で、この頑張り屋の、又あるときは厳しかった母が、一番困らせたであろう自分を拝んで感謝してくれたという事が、私に無上の喜びとその後の自分の人生に自信を与えてくれたような気がするのである。悲しいけれど嬉しい事であった。

       一服  休憩

  これは、家族・特に子供達に読んで欲しくて書きました。

     気が向いた方は(2)も読んでください。

|

« 今年一番の大雪のなかプレゼントが・・・ | トップページ | 母の風香(2) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 今年一番の大雪のなかプレゼントが・・・ | トップページ | 母の風香(2) »